今の時代を『生き抜く力』とは?

自然療法家の佐藤友子です。

笹塚でホメオパシー、QX-SCIOの相談会、
クラニオセイクラルセラピー(頭蓋仙骨療法)のお手当、
キネシオロジーのセッションをしています。



映画監督の伊丹万作氏が、
敗戦の翌年に『戦争責任者の問題』で、こんなことを書いています。

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『さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。

多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、
はつきりしていると思つているようであるが、
それが実は錯覚らしいのである。


しかもそれは、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、
もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを
際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて
互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。



このことは、
戦争中の末端行政の現われ方や、
新聞報道の愚劣さや、
ラジオのばかばかしさや、
さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織が
いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたか
思い出してみれば直ぐにわかることである。


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少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、
そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、
苦しめつづけたかということを考えるとき、
だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、


直ぐ近所の小商人の顔であり、
隣組長や町会長の顔であり、
あるいは郊外の百姓の顔であり、
あるいは区役所や郵便局や交通機関や
配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、
あるいは学校の先生であり、といつたように、

我々が日常的な生活を営むうえにおいて
いやでも接触しなければならない、
あらゆる身近な人々であつたということは
いつたい何を意味するのであろうか。



いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、
国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に
追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。



そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、
同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が
相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実
をも、
等しく承認されるにちがいないと思う。


しかし、それにもかかわらず、諸君は、
依然として自分だけは人をだまさなかつたと
信じているのではないかと思う。


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いたいけな子供たちは何もいいはしないが、
もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、
彼らから見た世の大人たちは、
一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。


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だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、
無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、
もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。


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だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、
半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。

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そしてだまされたものの罪は、
ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、
あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、
思考力を失い、信念を失い、
家畜的な盲従に自己の一切を
ゆだねるようになつてしまつていた
国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが
悪の本体なのである。



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それは少なくとも個人の尊厳の冒涜ぼうとく
すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。


また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。


ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

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我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。

しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を
軍や警察や官僚にのみ負担させて、
彼らの跳梁を許した自分たちの罪を
真剣に反省しなかつたならば、
日本の国民というものは
永久に救われるときはないであろう。


「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、
一切の責任から解放された気でいる多くの人々の
安易きわまる態度を見るとき、
私は日本国民の将来に対して
暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。


「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、
おそらく今後も何度でもだまされるだろう。

いや、現在でもすでに別のうそによつて
だまされ始めているにちがいないのである。


一度だまされたら、二度とだまされまいとする
真剣な自己反省と努力がなければ
人間が進歩するわけはない。

この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、
それ以上に現在の日本に必要なことは、
まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、
だまされるような脆弱せいじやくな自分というものを
解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を
始めることである。



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現在にもあてはまる、痛いお言葉。


知ろうとする意識も、甘い言葉に騙されず、

罠を見抜く努力も、その人の「生きる力」であり、

自分の命を守ろうとするのは『自分の責任』なのでしょうね。

他人を責めるだけではなく。
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by sato425 | 2012-10-14 23:05 | 思うところ
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