風は何を伝えようとしているのか。

この3月は、強い風が吹き続ける日がいつになく多いですね。
マスク嫌いの自然療法家、佐藤友子です。
その私ですらさすがに先日はマスクをしました。

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特に3月10日の脱原発デモの集会の日は、家を出るときは汗ばむほどの暖かさだったにも関わらず、
地下から日比谷公園に上がった途端、ものすごい突風と鉛色の異様な空。
天もお怒りかと思わざるを得ないような天気。

その後も時折、強い風の吹く日がありますが、この強風続きで少し前に見た『ニーチェの馬』という映画を思い出しました。
(2011 タル・ベーラ監督)



モノクロのスクリーン、一人の男が強い風の吹き荒ぶ中、風に逆らって逞しい農耕馬で馬車を走らせている。
荒涼とした風景にぽつんと1軒だけある田舎の農家。

半身不随の初老の父と、もう嫁に行っていてもおかしくない年頃の娘。
外は絶え間なく、激しい風が吹き続けている。

二人の規則正しい淡々とした生活。
朝起きると、娘は片腕が不自由な父の着替えを手伝う。
グラス1杯のパリンカ(地元の蒸留酒)を飲み干し、仕事が始まる。
水汲みや家畜の世話をして、娘は仕事を終えて戻った父の着替えを手伝う。

食事はいつも薪ストーブで茹でただけの大きなジャガイモ1個ずつ。
父は熱々に茹だったジャガイモを木の皿にとり、ナイフもフォークも使わず節くれだった手で剥いてげんこつでつぶし、家畜のように貪り食う。
娘は食事の楽しみもなく、ただ生きるための餌を口に放り込むかのように、わずかに塩をふって頬張る。
会話もなく、わずか1個のジャガイモを完食することもなく、食事は終わる。


こうした変わらぬ生活の中である日井戸は枯れ、家を離れようとするがそれもままならず、まるで風の中に閉じ込められたかのような毎日。
やがて馬も干し草を食まなくなる。

そして遂に夜も明けず、灯りもともらぬ真っ暗闇の世界を迎える。
終末を漂わせる情景。

この映画の中の風の吹き続ける世界が、最近の風の強い日と重なります。
現実が、暗示的な映画の非現実的な情景に近づきつつあるような。

そんなこと思い起こしながら、風の声に耳を傾ける。


見ていてしんどいのだけれど印象に残る作品。
最近こういう映画より笑える映画が好きなんだけどなあ。



風に舞っていた砂塵が何かはわかりませんが・・・
PM2.5、黄砂、日本の杉のホメオパシーのレメディ出ています。
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by sato425 | 2013-03-13 09:00 | 思うところ
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